個別指導塾の学習空間、静岡東部エリアの望月です!
公園の遊歩道を散歩をしていると、子供たちの元気な声に紛れて
野鳥が騒いでいる羽音が聞こえました。
すっかり葉が生い茂り、枝葉が幾重にも重なり込み入って、
見通しが悪くなった枝の向こうにいる野鳥を想いながら、
これから始まる夏への期待に胸を膨らませました。
先日、「やり過ぎる力」という本を読みました。
この本で、とても素敵なバスの運転手の話が書かれていたので
皆さんにも紹介したいと思います。
泣き叫ぶ赤ん坊を抱えた若い母親が、あるバス停で降りようとした時、
バスの運転手が、「ここが本来の目的地ですか?」と聞いた。
通例であれば余計なお世話に近い「やり過ぎ」な行為であろう。
若い母親が、「本当は新宿駅まで乗りたいのですが、子供が泣き叫ぶもので、、、。」
と答えた際に、運転手はおもむろに車内アナウンスを開始し、
以下のように述べたそうだ。
「皆さん、この若いお母さんは新宿まで行くそうなのですが、
赤ちゃんが泣いて皆さんにご迷惑がかかるのでここで降りると言っています。
子供は小さい時には泣きます。赤ちゃんは泣くのが仕事です。
どうぞ皆さん、少しの間、赤ちゃんとお母さんを一緒に乗せて行ってください。」
車内から自然と沸き起こった拍手を忘れることができなかったとのことである。。
この本で著者は、
「混迷する時代を切り開くために必要なのは真のリーダーシップである。
リーダーシップというと、組織を率いる力と考えがちだが、そうではなく、
真のリーダーシップとは、ひとりでも果敢にチャレンジする精神である。
また、特に前例や組織のしがらみにとらわれずチャレンジする力を「やり過ぎる力」と呼ぶ。
現代は、指導力ではなく「始動力」が求められている。
日本の近代を切り開いた坂本龍馬ら維新の志士も、
“Think Different”を打ち出しコンピュータの概念を変えたスティーブ・ジョブズも、
「やり過ぎた」人々だった。
日本にも外国にも、多くの「やり過ぎる」人たちが生まれることが、
明日を変えていく。」
と述べていました。
確かに、「やり過ぎ」には批判もつきものですが、
しかし、それと同時に感動を呼ぶことも多いと思います。
人生を躍動に満ちたワクワク感で包みこむためには、
「やり過ぎる」くらいがちょうどいいのではないかと私も思います。
思うに、感動の隣には、常に「やり過ぎ」があるのかもしれません。
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